ふきやの空間に彩りと調和を与える様々な意匠
匠が造り上げた数寄屋建築にさりげなく置かれた北欧椅子やアンティークの調度品。
「大人が寛げる空間」を考えました。
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ANTIQUE「ふきや」を彩るアンティーク
いにしえより伝え継がれてきた日本文化を代表する技の粋、家具や建具、陶芸や工芸に、心を揺さぶられます。
CHAIR「ふきや」を彩るデンマークの椅子
数奇屋造りの館内の細く繊細な建具と、ミッドセンチュリーの椅子達との調和。
アーティスト,デザイナー フィン・ユール Finn Juhl
王立美術大学建築科でカイ・フィスカーに学び、1934年卒業。コーア・クリントに学んだデザイナーがデンマーク家具デザインの主流として活躍する中で、独特の発想と造形力で全く違ったデンマークデザインの在り方を示した人物である。 ヴィルヘルム・ラウリッツェン建築事務所勤務のかたわら、キャビネットメーカー技術者であるニールス・ヴォッダーの協力を得て数々の名作を設計、その優れた彫刻的形態と造形感覚で独自の世界を作り上げ、世界にデンマーク家具を知らしめた一人。 彼の作品は名作であるチーフテンチェアに見られるように、安定した構造体の構成と部分としてのユニークな形態、そのそれぞれの出合い、そこに生まれる独特な全体としての調和とその最高の完成度が特徴である。それゆえ、形態とディテールの美しさで“家具の彫刻家”といわれている。
織田憲嗣氏著「デンマークの椅子」より引用
「北欧スタイル」No.9 Winter2006のフィン・ユールの特集にて、
当館が4ページにわたり掲載されました。
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教授,デザイナー オーレ・ヴァンシャー Ole Wanscher
コーア・クリントの生徒として1929年に王立美術大学を卒業し、1955年からはクリントの後を受けて家具科の教授として指導にあたった。美術史学者を父にもつ彼は、デザイナーとしてばかりではなく、常に家具の歴史的背景に興味を持ちヨーロッパやエジプトにしばしば研究旅行をし、本や論説、論文を発表した学者でもある。 彼は特に18世紀のイギリス、エジプト、ギリシャ、中国の家具を愛し、それぞれの持つ美しい線や形を自分自身の作品に取り入れ、品格の高い作品を製作している。 素材に関しては、ほとんどが自然素材であり、椅子張り地は、黒の表皮やホースヘアーの織り地を使い自然な色彩の調和を重用視し、格調高い完成度を示している。しかし、特殊な手の技術による高級な作品のみをデザインしただけではなく、機械加工を取り込んだ大衆に近い作品を、量産の可能なデザインで、実際に作り出した最初の一人でもある。
織田憲嗣氏著「デンマークの椅子」より引用
デザイナー イブ・コボド・ラーセン Ib Kofod-Larsen
王立美術大学建築科を卒業、家具デザイナーとして多くの量産家具およびキャビネットメーカーの製作家具のデザインを手がける。永年にわたって家具工業組合展示会にかかわった。
織田憲嗣氏著「デンマークの椅子」より引用
デザイナー ハンス・ヨルゲン・ヴェグナー Hans J Wegner
1931年、指物技術習得工としての資格を得る。家具製作職人として修行を始めて後、工業学校の家具科を卒業。1943年から自身の事務所を持ち活躍を始める。 彼は家具の、人間にとっての道具としての側面を良く理解し、常に人にとっての使いやすさを忘れないデザイナーであり、実用の側面を芸術作品としての家具にまで、矛盾させることなく完成させている。 また、同じテーマの作品を繰り返し新しくデザインすることで自身の世界を時代を超えたものにしている。そのキャリアは永く、デンマーク随一の多作な作家であるとともに、デンマーク家具デザイナーの第一人者であり、世界的作家である。その作品は、世界の多くの美術館の永久コレクションとして収められている。
織田憲嗣氏著「デンマークの椅子」より引用
ARTISTS「ふきや」を彩る現代アーティストと匠
名だたるアーティストが手掛けた芸術品が館内のそこかしこでご覧いただけます。
建築家 隈研吾 Kengo Kuma
ふきやの屋号である「ふき」の葉をモチーフに、旅館のリブランディングをおこなう。
その葉を単体、三つ巴、唐草模様など様々なパターンを作り、ふきの粒子の大きさ、茎の繊細さを生かしながら、プロダクトデザイン、インテリアへと展開している。
渋柿染め抜きのれん、染め浴衣、ウィルトン織カーペットなど、お部屋随所にそのデザインを見ることができる。
神奈川県横浜市出身。1990年代半ば以降、木材などの自然素材を生かした和をイメージさせるデザインを主としており、和の大家との呼び声も高い。
近年では国際コンペでの受賞も増えており、世界的に注目される日本人建築家の一人だ。
明治神宮ミュージアムや、2020年東京オリンピック・パラリンピックの主会場として使用された国立競技場を設計している。
建築家 二村和幸 Kazuyuki Nimura
造形口伝 流政之 Masayuki Nagare
形とはつくるものから。求める人々へと手わたすことによってこそ、はじめて生命をつかむものである。作品「であい枕」 粋を造形して、日本の心を大切にしみじみと感じさせてくれる一番日本を愛している人である。戦争で危うく命を落としそうになるが、その相手国に認めさせ、世界の巨匠として大きく羽ばたいている。1984年に出来上がった抽象のひと型彫刻は、古代、外地に対する防備として配置された無名の兵士「崎守」。このサキモリに価する人に出会って、その人の功績を称えたこの像が建つ姿を想像して心はときめく。
二村和幸 文責
漆塗家 12代 仲村宗哲 Sotetsu Nakamura
客をもてなす美学を心得て、某人に必要な道具の趣向を塗師として造り上げる。利休居土の美学で支持された形、塗りを匠んで、初代宗哲が「利休形諸道具」67種の制作を預かった。その造り手として12代続いている中村宗哲は千家十職として増々の技を研讃されている。古典文学の中に新しい美学を求め、具現されている。漆の技、塗りを確かなものとして、多くの人に知って頂くとして哲工房も主宰されている。
玄関床の間枢は、桧材に少し削り面をつけ、ため塗りを施している。
客をもてなす心がここに表現されている。
二村和幸 文責
和紙造形家 堀木エリ子 Eriko Horiki
「建築空間に生きる和紙造形の創造」をテーマに、2700×2100mmを基本サイズとしたオリジナル和紙を制作。和紙インテリアアートの企画、制作から施工までを手掛ける。 近年の作品は、「成田国際空港第一旅客ターミナル到着ロビー」、「上海ウエスティンホテル」
辻けい Kei Tsuji
手すき和紙の手法を取り入れた作品を製作。”フィールド・ワーク”の作業から学んだひとつに、流体力学(ベルヌーイ法則)原理がある。水流の力と染色された糸(布)の動きを表現する。
造形家 高須英輔 Hideho Takasu
1995年より怪談をテーマとした彫刻作品の発表を始め、03年、「57の階段彫刻」が出版される。現在、建築意匠デザインを手がけながら、野外彫刻・モニュメント碑などのコミッションワークを数多く手がけている。
石井康行 Yasuyuki Ishii
「柿衛門」と同じ種類の石の粉をこね、ろくろで形を整え、半乾きの状態で図案を彫る。光を灯した時を想定しながら、わずか数ミリの厚みの差で彫り上げる精緻な図案。「彫りやすい時が、最も壊れやすい」。1000度の炎で素焼きし、釉薬(うわぐすり)をかけて約1300度で本焼き。光源を取り付ける。
電球の光は黄色みを帯びるので、グニュっと曲がった細かい蛍光灯を中にひそませる。
鈴木三八子 Miyako Suzuki
羅もじり織の紗より複雑に経糸をもじり合わせて、文様は如何様にも構成できます。
竹ひごとベージュの絹糸で仕上がっています。
中国紀元前4世紀の戦国時代に絹の羅が、アンデスでは紀元前6世紀頃に木綿の羅が出土しています。
二村和幸 文責
屋上庭園 角章 Akira Kado
かねてより炭を使った庭園を作品化してみたかった。従来の草花や石で表現する庭園ではなく、新たな表現として、より抽象的な表現が可能なものとして、”炭”と言うマテリアルに着目していたからだ。また、ガラスやステンレスという現代的な素材と、炭の風合いとをコラボレートさせた、新しいランドスケープを提案できると信じていたからでもある。この度、機会があって『ふきや旅館~屋上庭園』にこの”静寂の石庭”を表現させていただいた。夜になると照明の変化もあり、屋外風呂に入りながら、ゆったりとした時間を楽しめるのではないだろうか。都会の喧噪を離れた悠久の時間を、多少なりとも感じていただければ幸いである。
最後に、炭によってマイナスイオン化する磁場がつくられていることも付記しておきたい。